ぱーふるの、うちへようこそ。

ゆるっと、ふわっと、すきなことを発信します。暮らしのメモや思ったこと、Jazzなどの音楽たちを真ん中において見つめた日々を綴ります。

「マッサン」からもらったものは久々なものだったこと。

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朝ドラはここ何年か続けて見ています。
先日最終回を迎えた「マッサン」も見ていました。

たしか、次は朝ドラ史上初の外国人がヒロインだと耳にし
え~そうなんだ!?日本語ペラペラなのかなぁなんて思っていたのです。

エリー役のシャーロットさんは最初、まったく日本語を
話すことができなかったそうですね。
大変なご苦労をなさったのでしょう。

ドラマが始まれば、架空の人物の物語なのか
はたまた実在した人物のことなのか、
気になっていろいろ調べてしまうのですが
「マッサン」は、日本で初めての国産ウイスキーを製造した
人物の物語だと知った時
正直わたしは、へえ~そうなの…としか感じませんでした。

 

まず、ウイスキーを飲まないのです。
だからウイスキーに詳しくはないのです。

友人に言わせると、ウイスキーの味はお酒の中で
一番おいしいもの、なのだそうです。

他のお酒は一切飲めない友人はいつも
ウイスキーをおいしそうに飲んでいました。
そしていろんな薀蓄を語ってくれていましたが
まったく覚えていません。
ごめんね。

こんなわたしでも「マッサン」をほぼ毎日見ていると
ウイスキーの原料や発祥地、適した気候風土などを
知ることが出来ました。
日本発祥ではないだろうな、とは思っていましたが
まさかスコットランドだったなんて。

広島のおかあさんや大阪での愉快な仲間の登場は
朝から笑ったり元気をくれるものでした。

なかでも大阪でマッサンとエリーが過ごしていた時期は
いつも何らかの事件を起こしては
楽しく暮らしていた彼らを見ながら
こういうご近所さんとのかかわり方もあるのね、と
興味深く観察していたものです。

でも、大阪時代はどうも視聴率が落ち込んでいたようです。
むりもありません。
マッサン、無職でぶつぶつ文句をいうだけでしたからね。

エリーってえらい!
あんな能無し男にずっと寄り添って叱咤激励して
しかも他人まで下宿させるなんて、えらい!
そんな声を日々あちこちから聞いては
「マッサン」談議に花を咲かせていました。

わたしは、いつもあかるいキャサリンさんが好きでした。

「マッサン」はいつになく泣いた朝ドラだったように思います。
思い返してみれば泣きっぱなしの週もあったかもしれません。

夢と現実の両立って難しいのです。
でも彼がそれを実現することができたのは
エリーと仲間と幸運のおかげだと思います。

でも、もしかしたら最後の「幸運」というものは
案外側で輝いているものなのかもしれません。
よく耳にする「気が付いていないだけ」なのでしょうね。

一番最初のシーンを今でも思い出すと
戦前という時代に、はるばる海をこえて留学したマッサンも勇気がある
とは思いますが
それ以上に、故郷を離れる決心をしたエリーを称賛したいのです。

今では航空機を使えば乗り継いだり他の移動手段を使うなりして
世界中行こうと思えば行くことができます。

けれど、そうではなかった時代があったのです。
そんな時代に愛があるから大丈夫と
故郷を離れて、愛する人と手に手を取って駆け出すなんてこと
そうそうできることではないと思います。

現代になってもわたしには即決できないことです。
たぶん、悩みすぎて時期を逃してしまうことでしょう。

白樺がどこまでも立ち並ぶ一本道を
ふたりが手をとって走っていくシーンがありました。

あのシーンが最終回に再び登場した瞬間
「マッサン」という朝ドラのこれまでがオーバーラップしたのです。

最終回は最初のシーンと同じ場面も登場し
ああ、ここにつながっていたのね、と納得して見ていました。
エリーの写真が飾られているのを見て
ずっと不思議に思っていたのですが
最終回で、すべてが溶けきったように
澄んだ心地がしました。

実在の人物を題材にするのは
そこにお手本があるようでいて実は全くの白紙でもあったのかもしれません。
全てをドラマにすることは様々な制約があるでしょうし
またドラマとして成り立つかどうかも定かではありません。

その後どうなったのかが気になる人はたくさんいるのですが
みんな元気でその後も過ごしているのでしょうね。

ただおもしろいだけではなく
久々に、勇気をいただいた朝ドラでした。

そして、けさの「まれ」を見逃してしまいました…
あぁ…

では、さいなら。