ぱーふるの、うちへようこそ。

ゆるっと、ふわっと、すきなことを発信します。暮らしのメモや思ったこと、Jazzなどの音楽たちを真ん中において見つめた日々を綴ります。

出囃子「三下がりかっこ」とともに米朝さんの落語を泣きながら聴きます。

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 どんなに偉大だったのかは、言葉では表現しつくせないほどです。
 落語家の桂米朝さんが3月19日にお亡くなりになりましたね。

 訃報を聞いたのは翌日のラジオでした。
 外が真っ暗なうちから祖母のお墓参りに出かけていたこともあり
 前日はかなり早く就寝したので、全く知らなかったのです。

 

上品で端正なお方

 数々の輝かしい功績はもとより、
 物腰の柔らかい語り口が大好きでした。

 

現代の落語界を代表する落語家の一人で、
第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、
復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われている。
1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となる。         

wikipediaより引用

わたしが米朝さんの落語をはじめて聞いたのは今から10年ほどまえのことです。
 かろうじて関西圏のラジオが聞こえる場所に住んでいたので
 上方落語を身近に聞くことができました。

 関西の人は喧嘩をしているみたいに話すね。
 関東の知人はたまに不思議がってつぶやいていました。
 「シャキシャキ話す」ということが喧嘩をしているように思えたのでしょう。

 けれど、米朝さんは高座に上がってもラジオのインタビューでも
 「やらかい(=やわらかい)」話し方をされていました。
 
 もちろん演目によって怒鳴るように演じたり
 それはもう艶っぽく女性を演じたり
 丁稚の舌足らずな言い訳の様子を表現したりと様々に演じられておりました。
 
 聞き手をすうっと物語の世界に誘い込んでくれるお方で
 若輩のわたしにも理解できるような言い方をしてくれる落語は
 「お年寄りの楽しみ」や「成熟した大人が聴くもの」といったイメージを
 ガラッと変えてくれました。

 わたしは単に米朝さんや落語が好きだというだけのことなのですが、
 古いお話の復活と継承にご尽力なさった功績は
 素晴らしいだけでなく、ありがたいことだと思っています。

 その努力のおかげで今日楽しく聞くことができるお話もあるでしょう。
 戦前戦後間もなくの頃の状況が未体験の人々にとっても
 話芸を知ることができた、という純粋な喜びは共感できるのではないでしょうか。

1500人に見送られて

 昨日は米朝さんの告別式でしたね。
 気持ちだけは参列させていただき、様子はニュースなどで拝見しました。

 いま、こうして書いている間も涙で視界がぼんやりしてしまうのですが
 ご長男の桂米団治さんのあいさつが心に残りました。

 小学校の運動会に来てくれたのはたったの1度。
 それもチラッと見て帰ってしまわれたとか。
 家族旅行もパックツアーの1回きり。

 米団治さんにとって、米朝さんはずっと「雲の上の人」だったようです。
 大勢のお弟子さんをかかえ、独演会を開催し高座に上がる。
 上方落語協会会長を務め、上方落語の普及に奔走されている姿は
 いちファンであるものにとっても
 畏れ多く、雲の上の人だと認識しています。

 だからこそ「父親」としてふと考えたときに
 自分にとっての「父親って何だろう?」と考えた、ということは
 ごく自然な疑問だったのでしょう。

 さまざまな葛藤がおありだったのでしょうが
 「あぁ、この人はみんなの父親なんやな、と思いました」とおっしゃっていたこと
 キュッと胸をつかまれたような気持ちになりました。

 かつてなにかで米団治さんが
 人間国宝の父親を持つと何かと大変です、というニュアンスのことをおっしゃっていました。
 その時はそうだろうなぁ、なんたって国宝だもんね、
 と軽く聞いていたのですけれど
 米団治さんが抱えていらした「重み」ははかりしれませんが、
 この先もいくつかは抱えることになるのでしょう。

三下がりかっこで高座に上がる

 しばらく使用されていた出囃子の「三下がりかっこ」。
 わたしは好きな出囃子でした。

 この出囃子を聴くと、あ米朝さんだ!と全身にワクワクが広がるのです。
 
 出棺時に流れた「三下がりかっこ」。
 映像でその様子を見た瞬間、涙があふれました。
 
 お弟子さん、孫弟子さん、曾孫弟子さん、玄孫弟子さん、事務所や関係者の方々、
 みなさんそれぞれに「三下がりかっこ」をお聞きになったことでしょう。

 きっと高いところからご自分の告別式をみていらしたと思います。
 大勢の懐かしいお人に囲まれて。

 当分、穴の空いた気持ちを整理できません。
 耳から入ってくる米朝さんの落語を聞きながら過ごしています。

 元気を与えてくれた米朝さんの落語を心から楽しめるときがくるまで
 今しばらくは、涙を拭いつつ拝聴しますね。

 では、さいなら。